まほらの天秤 第6話 |
コンコン、と控えめなノックの音が聞こえた。 その音に、ダールトンは厳つい顔に深い笑みを乗せた。 「ああ、おそらくユーフェミア様だろう」 随分と心配していたからな。 そう言うと、ダールトンは扉の向こうへと声をかけた。 カチャリと静かな音を立てて開かれた扉から嘗ての主君、ユーフェミア・リ・ブリタニアの生き写しである彼女が姿を表した。 慈愛の姫ユーフェミアの生まれ変わりとされている少女だ。 「あの、お体は大丈夫なのですか?」 ベッドの傍まで歩み寄ってきた彼女は、眉を寄せ不安げに首を傾げた。 桃色の髪がサラリと流れ、花のような香りがふわりと漂った。 その香りに、ドクリと心臓が高鳴った。 ここまでそっくりなのか。 もう忘れたと思っていた懐かしい香りに、涙腺が緩みそうになる。 「大丈夫ですよユーフェミア様。枢木は至って健康です」 ダールトンは穏やかに笑いながら言った。 枢木。 やはり僕は枢木スザクと名乗り、しばらくの間ここに滞在する事を望まれているのだ。 まさか数百年前の人間が、今も当時と変わらぬ姿で生きているなど誰も思わない。 だから僕は、枢木スザクの生まれ変わりかもしれないと彼らは思っているのだ。 慈愛の姫の忠義の騎士。 姫亡き後、その父である皇帝に仕えた、ブリタニアが誇る最強の騎士、その第7席。 ブリタニアに都合のいい綺麗事が並べられた歴史書には、裏切りの騎士、同族殺し、白き死神という二つ名は記されていない。 悪逆皇帝の騎士だった過去はナイトオブゼロの存在ごと消え去っている。 ならば、彼らから見れば、枢木スザクは理想とも言える騎士だろう。 そのイメージをわざわざ壊す必要もない。 特に、彼女の前では。 「ご心配をおかけして申し訳ありません、ユーフェミア様」 僕は嘗てユフィに向けていた笑顔を彼女に向けた。 すると、彼女は驚きと共に頬を桜色に染めたあと、嬉しそうに笑った。 「よかった。大怪我をして運ばれてきたと聞いた時には、本当に心臓が止まるかと思ったんですよ」 僕の彼女への対応にダールトンは一瞬驚きの目を向けたが、それでいいと言いたげに頷いたあと、ようやく僕の身に何があったのかを教えてくれた。 「枢木は3日前、バイクで走行中に事故に巻き込まれたのだ。飲酒運転をした大型トラックが、対向車側にはみ出してきて、枢木の前方を走っていたバスと衝突、枢木と、その後ろを走っていた乗用車が巻き込まれ、死者17、重軽症者4人を出した」 重軽症者より死者の人数が多い。 おそらく前を走っていたバスの乗客が亡くなったのだろう。 そこまで聞いて、僕はようやくあの当時の事を思い出した。 「あの日、自分はバイクに乗り、カーブの多い山道を走っていました」 特に目的地があったわけではない。 不老不死の体では1箇所に留まる事は出来ないため、定期的に拠点を変えていた。 ここ数年は南の方に居たため、北へと移動していた最中だった。 「事故の衝撃で枢木は崖の下へと転落したようだ。幸い、木々がクッションとなったのだろうな」 運が良かったなと、ダールトンは真剣な表情でスザクを見た。 だが、それだけでは僕が此処に居る理由にはならない。 もしその状態で発見されたなら病院にいて、警察も絡まなければおかしいのだ。 それなのに、僕はこの屋敷で治療を受けている。 「元々あの辺りは陛下の・・・シャルル様の私有地で、事故に気がついた屋敷のものがそのがけ下へと向かった所、枢木が倒れていたのだ」 それだけの事故で、運よく木々がクッションになって助かった、なんて楽観的な考えは僕には出来なかった。間違いなく、崖から落ちて僕は死んでいる。 木々がクッションと言う時点で、かなりの高さがあるという事。 粉砕骨折に内臓破裂、裂傷による体組織の破損、おそらくは即死。 そして、僕を発見したというその人が来るまでに、蘇生したのだ。 この体の軋みと痛みは、3日間寝ていたことが原因ではなく、死んだことによる物と考えた方がいいだろう。死からの蘇生直後は全身が一時的に痛むのだ。 「そうだったのですか。助けてくださりありがとうございます」 恐らく治療を施してくれたダールトンに、僕は笑顔で礼を言った。 「ハハハハハ、成程、枢木スザク卿は君のような人物かもしれないな」 穏やかで人好きのする笑みと、礼節をわきまえた態度。 さすがユーフェミア様の騎士だと、ダールトンは僕の対応をいたく気に入ったらしく、豪快に笑った。 運動は許可されなかったが、周辺を歩き回るぐらいなら大丈夫だろうと言われ、僕はユーフェミアと共に屋敷の庭へ来ていた。 手入れの行き届いた庭は、美しい花が咲き乱れ、青々と生い茂った木々は、さんさんと降り注ぐ太陽の光を受け、美しい緑色の葉を揺らしていた。 美しい。 この庭を見て、そう感じたことに僕は驚いた。 数百年の時を生きたせいか、それとも不老不死と言う特殊な体のせいなのか。 人としての感情が希薄になり、自然を美しいと思う心さえ無くしていた。 C.C.があまり感情を表に出さなかった理由は今なら解る。 時間と共に人間らしさを無くしてしまうのだ。 喜怒哀楽。 それらの感情もマヒしていたはずなのに、僕の顔には自然と笑みが浮かんでいた。 いつもの作り笑いでは無く、自然と湧き上がってくる本当の笑み。 それはきっと、並んで歩いているユーフェミアがもたらしてくれた変化なのだろう。 彼女はいつも笑顔で僕の手を引っ張り、次々と僕の心の扉を開けてくれた。 今ここに居るユーフェミアに似た人物もそうだった。 だから、確信する。 彼女は、僕の主君であったユーフェミアの生まれ変わりなのだろうと。 姿形だけではなく、中身までそっくりの他人などいるはずがないのだから。 「では、シャルル陛下もここに?」 「はい。お父様は今お屋敷を離れていますが、数日中に戻ってくるはずです」 庭に置かれたベンチに腰を掛け、奇跡に関わる人物の名前を聞き、僕は驚いていた。 あまり噂を気にしていなかった事もあるが、そういう事象が起きている話は耳にしても、誰が見つかったのかは聞いたことはなかった。 そんな僕に彼女は知るかぎりの情報を教えてくれた。 どうやら最初に現れた奇跡の人が、シャルルだという。 歴史学者のシャルルが、名前だけではなく容姿も98代皇帝にうり二つだという話から、このブリタニアの奇跡が始まっている。 シャルルには息子がいた。 それがオデュッセウス。 妻と別れ再婚した先でギネヴィア。 そして再び再婚し、シュナイゼル。 生まれた当初は別の名を与えられていた子供たちだが、彼らまで歴史に残る皇族とそっくりだった事が、奇跡に拍車をかけた。 あまりにも似すぎた家族。 合衆国ブリタニアの政府は、シャルルは賢帝と讃えられた98代皇帝の生まれ変わりで、その子供たちもまた当時の皇族の生まれ変わりではないか。そう考え始め、彼らを手厚く保護した。 まるで、本当の皇族のように彼らを扱い始める。 108人の妻がいたシャルル皇帝。 政府はシャルルにのみ重婚を認め、シャルルは女性との間に次々子を成した。 目的は、合衆国ブリタニアの母。聖母とも呼ばれた初代代表、ナナリー・ヴィ・ブリタニア再来のため。 賢帝シャルル。聖母ナナリー。更には名宰相シュナイゼル。軍神コーネリアも揃うならば、ブリタニアは変革を迎える。 新たなステージに立てるだろう。 シャルルの妻となる人物を探し始めた政府は、ある事に気がついた。 妻となった女性たちは、賢帝の妻に名前こそ違えどうり二つだったのだ。 此処まで来ると、神聖ブリタニア帝国を復活させよという神の思し召しかもしれないと考える者も出てきた。 もしそうなら皇帝の騎士がいるはずだ。 そうして世界唯一の軍隊黒の騎士団に所属していたヴァルトシュタインが見つかった。 月日は流れ、今はこの屋敷を拠点とし、ブリタニアの奇跡により集められた者たちが水面下で神聖ブリタニア帝国再建に向け活動をしているのだという。 楽しげに語るユーフェミアには悪いが、僕は馬鹿な事をと内心呆れていた。 シャルル皇帝は賢帝などと呼ばれるような人物ではなかった。 侵略戦争を行い、人々を苦しめた元凶。 最悪の君主。 ナナリーは、ルルーシュが残したレールに従った結果聖母となったにすぎない。 悪逆皇帝が討たれた後、すぐに世界が復興するようにと定められたレール。 お膳立ての整った政治。 それを整えたのはルルーシュだから、間違いなどあるはずがない。 彼女自身は政治には向かず、感情論で進めようとするため、どれだけシュナイゼルと僕が苦労したかなど歴史には残されていない。 ブリタニアの奇跡。 まさかここまでのものとは思わなかった。 折角安定していた世界情勢が揺らぎ、合衆国ブリタニアが傾くかもしれない。 ゼロとしては、見過ごせない内容だった。 「あまり興味はありませんか?」 ユーフェミアは首を傾げ、不安そうにこちらを伺ってきた。 僕が黙り込んでしまったため、話しに飽きていると思われたようだ。 「いえ、大変興味深い話です。出来る事なら、ユーフェミア様がご存じの内容を全て教えていただけませんか」 僕がそう笑顔で口にすると、彼女は嬉しそうに笑った。 |